Origins of The Community Project

コミュニティ・プロジェクトの始まり

コミュニティ・プロジェクトって何

コミュニティ・プロジェクトは大分県の国東半島に位置する、絵画のような田舎の山間部の二つの村のコミュニティが自らの地域社会と環境を長期間に渡って存在し発展していけるよう手伝っています。

歴史

使われずに草が伸び放題の田んぼや耕地は日本のどこにでも見られます。森は手入れされず、大なり小なり朽ち果てた山小屋はほぼどこでも人目を引く光景です。あらゆる場所で蔓延った竹林はそこにある全てのものを破壊していくように見えます。

WALK JAPANの創設者の一人でありまた神戸の関西学院政策学部の名誉教授でもある、リチャードアーヴィングは日本の田舎が直面する問題の専門家です。30年以上に渡ってリチャードは京都府の綾部市において日本の田舎について研究し文書にしてきました。彼の研究論文”環境の管理人ー誰がこの仕事をしたい?”においては人口の減少と高齢化、またそれが農村に与えるインパクトを雄弁に説明しました。

2002年、弊社のCEOであるポールクリスティは、彼曰く高齢化しその数も減少し続ける地元民として未来を実りあるものにするため、絵画のように緑で覆われ神道や仏教の歴史も豊かな国東半島へと移住しました。ポールは自身の夢の生活を始め、まず分かりやすく木を切り倒し不毛の山腹を再生させることから始めました。次に使われずに朽ちていた建物の修復に手をつけました。森を壊し耕地に侵入していた竹林を取り除き、畑を耕し果樹を植えました。またポールは地元の農家さんのお米の植え付けや借り入れの手伝いをし、共有地の雑草を刈り、時には牛小屋から逃げ出した牛を追いかけたりしました。

2002年にポールが始めたことはその後2007年に正式に創設したWalk Japanのコミュニティープロジェクトの核となりました。以後、プロジェクトは規模も範囲もかなり成長し現在は直接または間接雇用の提供も含むようになりました。そして私たちの活動や達成した事が日本や海外の他のコミュニティやグループへ普及しました。

畑仕事
自分たちの食糧を育てることに加えて、私たちは農家の方々が土地の生産性が保たれるよう手入れされたまま引退ができるように活動しています。私たちの1番の農作業は稲作と椎茸栽培です。また、ブルーベリー、梅、ゆず、カボスなどの果樹も育てています。スタッフに新鮮な野菜が提供できるよう、有機栽培の畑もあります。将来的には太田エステートを通してもっと利益が出るようにしたいと思っています。

修復作業
日本での最初の二つのオフィスは国東にある古民家をオフィスとして使えるよう改築しました。古民家は17年以上使われておらず、コミュニティープロジェクトの象徴的な核となりました。オフィスは地元の職人さんに助けられ、地元で伐採された材木が使われました。

・森林管理
私たちの作業場は人工の杉林の真ん中にあります。混合林や自然な環境の再構築、試験的なフォレストガーデン(持続可能であり、果樹や枝などで構成された野菜やいくつもの層の野菜や果樹の雑木林)を作りました。私たちが手入れ、再建している森林地帯にはさまざまな在来樹木が含まれており、多くの野生生物が生息しています。その主な要素はクヌギ林で、椎茸栽培には欠かせません。

・土地管理
私たちは何年もの間ほとんど手入れされてこなかったいくつもの公園や公共の地域の管理を引き受けました。そういった草が生い茂っていた地域は、今や誰もが再び楽しむことができる資源となり、ここでイノシシが保護され、地元の農家の方々も安心されました。

・雇用
現在、国東の2つのオフィスとコミュニティープロジェクトに30人以上のメンバーがいます。スタッフは日本の各地や海外、また地元出身の方もいます。改築計画では定期的に大工さんにお願いしてますし、ゲストハウスやシェアハウスに管理人もいます。加えて、私たちと働いている方たちが田舎から都会へという人の流れを変えていることは地元のコミュニティーを維持していくのに大変貢献しています。

・その他
​​​​​​私たちはしばらく使われていないもしくは消えてしまった小道も探す作業もしています。そういった小道をネイチャートレイルとして再び通れるようにし、地元の方や観光客が探検できるようになりました。また、地元のイベント開催の資金を提供したり、私たちのツアーに美味しい家庭料理を提供してくれる地元の団体の方たちとも一緒に活動をしています。